10月29日〜11月1日
記憶なし。泥のように液状化。一度人間をやめると、人間に戻るときに痛みを伴う。
2日
空地文庫久しぶり。
3日
なぜか空地文庫をオープンしてみる。ひとみさんが突然現れてコーヒーとお菓子を分け与えてくれる。津賀氏もナイスタイミングで訪れ、みんなで茶をしばく。人間だなあ。
4日
京都でダンス巣食うでのWS初日。idea platformの手法と背景についての講義と、後半はわたしからのideaを渡す時間。手探りWS。platform今後どうしたいかを考えるうえで良い時間になりそう。
帰りの鴨川から見た夕日がすごく綺麗だった。京都は人混みも電車も苦手だけど、川は好き。
6日
ロクミーにもう行けるタイミングがないということで、空地文庫を急遽休んで登山。今年はたくさん六甲山に登れて、夏の避暑地というものを体感して、感動した。自然が美しい。
映像作品を見逃していたので、植物園へまず行く。カンボジアのアーティストでシンガポールの波打ち際で観光客をおんぶする作品が印象的だった。砂の移動という子どもの砂遊びのようなテーマは大地の売買、所有、資本主義経済の拡大に伴う人間中心主義があぶり出されるとともに、人をおんぶする体感はプリミティブで心許なさと仮設の親愛が生まれていた。何かに無力さを感じながら、でも何か新しい関係性も構築されていた。複雑だな。
渡辺さんのWS映像も最後まで見れていなかったので拝聴拝見。ケアの循環、というか、ケアする側が癒されて行く感覚のような気がした。自分の人生に他者を引き込み、自分の許容範囲外かつ他人事を背負わされることで、想像するしかない状況が彫刻物を媒介に痛みを癒しを創造していた気がした。でもこの関係性は匿名かつ、ケアする相手を知らないということが条件なのだと思う。アイデンティティーワークを時代も環境も異なるアーティストが再演する上演をいくつか思い出した。でもケアの観点では見ていなかったなと気がつく。
まその塔は大分野ざらし感が出て、勝手に風とともに海へ向かって旅立っていた。山から海へ。人の手が介入しないのならば、永遠に繰り返されてきた極自然な現象だった。