真鍋さんと攻殻機動隊の話になる。ついにS.A.Cアニメシリーズは見終わってしまい、ghost in the shell観た。サックは素子が精神的にも戦闘能力にも不動の位置にいるために、何の心配もしないし紆余曲折しながらもアンパンマンストーリーというのか。わたしとしては見やすい。
しかし映画版や今後のアニメシリーズは素子がサイボーグ化されて行く中での自己が曖昧になって行くことへの不安感があり(多分)、その世界に即した悩みでありつつもリアリティがあるので共感もしやすい。
が、まあわたしはアニメ免疫がセーラームーンで止まっているし、アンパンマンストーリー(ワンピーストーリー?)大歓迎なタイプなのだと今回改めて感じ取り、続きは見ないことにした。サック2045シリーズはいつか見たいな。でも90年代2000年代に30年後を予見しているのが面白かったしなー。ウェアラブルデバイスすら出てこない世界シンプルで良い。
とにかくわたしはもう何かに満足してしまったのだ。
あやふやな自己形成への不安的ストーリー、唯一共感できたのはヤマグチトモコだけだな。
あとエバにしてもサックにしても、女性軽視、母性神話ゴリゴリがやはりじわじわとボディブローに来る。量産型アンドロイドや性処理器具やらは全て同じ型の女性になっているのに対して、タチコマというピュアであり、知能が発達段階の赤ん坊のようで、ストーリー上で重要なポジションにいるAIとサイボーグの間の子見たいなものは虫のような形状なのもつっかかった。タチコマが(当時の社会的な意味で)女の形状をしていたら描けないストーリー、であるということには自覚的。そこを自覚した上で偏った差別的なフェティシズムもいたるところにゴリゴリ表現している。何重もの侮辱を感じる。
結局ヤマグチトモコが読めたのは、圧倒的不安定な状況から自己形成を培って行く段階に搾取的な描写がほぼないところなのかもしれない。エバにしてもサックにしても不安定さから完全さを手に入れて行く段階の中で絶対に異性の視線、異性の搾取が前提にあり、そのコンプレックスを超えて行く描写がある。そこに共感が生まれるし性的な対象としてそのコンテンツが消費されるシステムなんだと思う。